いつも事後
この間やった落語の台本を書き上げました。
ええ、本番が終わった後に書き上げました。
最近はいつもこのパターンです。
というのも、ぼくは最近古典落語をやらしてもらう場合、プロの落語家さんがやっている音源なり動画なりをベースにして、台本をいったん書きます。
でも、プロの落語家さんがやっている落語をそのままやってみても、どこをどうあがいても、プロの落語には到底及ぶはずもなく、その「劣化コピー」になってしまいます。
なので、その台本はあくまでも土台であって、極力自分の言葉で展開させていくように努力しています。
自分ならこういうだろうという言い回しに変えたり、場合によっては構成を替えたりして、とにかく、元のプロの落語家さんの色というか香りを残さないようにしています。
そうなると、当然、最初に書き上げた台本は、どんどん変わっていきます。
場合によっては、ある程度変わったところで、台本を書きなおしたりしますが、たいていはそのまま本番直前まで試行錯誤を続けるので、本番でやった内容の台本というのは、どこにも残っていない状態になります。
動画なり音声なりを記録として残しておけばいいのですが、それがない場合はもう何も残らないことになってしまいます。
そんなわけで、本番が終わった後、記憶がまだ鮮明なうちに、本番で喋ったのと同じものを文字情報として残しておく必要性を感じて、「事後」に台本を書き上げるということになります。
いつもは10分くらいの落語をやってるので、この「事後台本」も書くのにそんなに時間はかからないのですが、今回は30分以上の落語だったので、全然はかどらずに、二日かかりになりました。
ふう。
でもなぁ、やっぱ人情噺はぼくには合わないのかなぁ。今後やる機会があるのかな…。
もう「速記」じゃなくて「台本」って言うんですね。
返信削除本職の落語家さんは、なんて呼ぶのかな?
お手本の落語を聴きながら、口述筆記状態で書いたものは「速記」だと思います。
削除それをそのまま覚えるのであれば「速記」=「台本」だと思いますが、実際にはアレンジして本番に臨むので、「速記」≠「台本」なんだろうと思います。
落語家さんは「本」って言ってましたよ。