2023/06/25

徒然

どうも。

日帰りで帰省。
割と近しい親類が割と重い病気で闘病中。
年もそんなに離れていなくて、小学生ぐらいの時はよく一緒に遊んだり、うちに泊まりに来たりしてました。
しばらく前から状況については実家経由で情報を得てはいたのですが、コロナの問題があり、なかなか病院に行くこともできずにいました。
コロナの帰省が緩和された後も、タイミングがなかなか掴めず、とうとう今日まで一度も見舞いに行けず、という状況でした。
実は明日、隣県の病院へ転院することになっているとのことだったので、今日を逃してしまうとまた見舞いに行けなくなってしまうと思ったので、そのために帰省したのでした。

高校生くらいから顔を合わせるのは年に1回くらいだったし、大人になってからは数年に1度会えばいい方だったので、久しぶりの対面でした。

会話もできない状況なので、言葉を交わすことすらできず、どうすればいいのかわからず、オロオロするぐらいしかできませんでした。
余り長居もできなかったので短時間で引き揚げます。

高速道路を運転しながらあれこれ考えました。

病は治るのか、治らないにせよ少しでも軽くなるのか…。
見舞いに行ったけど、ぼくのことを認識できたのだろうか…。
家族は…?生活は…?
考えても仕方がないけれど、思考が同じところをグルグル。
この20年ほどの間に数回顔を合わせる程度の関係だったし、向こうの状況はあまり知らないし、今からあれこれ詮索するのもどうかなと思うし、そうなるとぼくに出来ることとはあまりない。というか、ほぼ何もない。
良くなるように祈る?
「祈る」なんてのは客観的には精神的な、むしろ自分自身の自己満足にしかならない行為なんだろうし。
転院して新たな治療を試みるそうなので、それで何かしら新たな展開がみられることに期待するしかない。

じゃあもし自分が同じ境遇に陥ったらどうなるんだろう、そんなことも考える。
家族は?生活は?仕事は?
保険が出るのか?仕事はやめるしかないんだろうか?

いや自分に限ってそんな状況にはならない、とは決して言えないと思う。
実際にこんな近しいところで、こんな状況になっている人がいるし。
年齢だって、気が付けば50という数字が見えてきている。いつまでも若くはない。

「明日死んでもいいように、毎日を過ごす」なんてことを言う人がいる。
確かに、明日斃れるかも知れない、なんてことを考えると、もっと自分が本当にやりたいことをやって、なんなら楽しく毎日を過ごした方いい。
でも、実際はそうもいかない。
多分、明日も、明後日も、その次の日も、連綿と日々は続いていく。
永遠なんてものはないから、この生活だっていつかは終わる。終わらないにしても変わる日が来る。
でも、出来る限りは、今の生活を維持することが当面の生き方になってくる。

とはいえ、我慢だけの人生になってしまうのもどうかなとも思う。
じゃあ、何がやりたいのか?何が楽しいのか?
刹那的に、目の前に現れた楽し気なことに手を出すだけなのか?
結局なんら答えは出ない。
多分、明日も変わらない生き方だろう。

運転中のBGMは桂米朝「算段の平兵衛」。



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